CATEGORY:脱線話
2008年08月12日
チラ裏的戦争観
やあ、ちょろっとプチお久しぶりです。(⌒0⌒)/~~~
暑い日が続いておりますが、ここ数日は比較的過ごし易く感じました。
お蔭様で私の方も週末に最後の出張を済まし、やっとこ盆休みに突入出来そうな気配です。
(というか半ば強引自主的にw)
今年は諸物価高騰もあり、財布も暑さも厳しい夏ではありますが、
来年はコレが笑い話になることを願いつつ、皆様の御健勝をお祈り致します。
______________________________________
さてさて、今回は、「チラシの裏にでも書いてろ!」ともいうべき、
「KY」で「うざい」ともいえる内容を吐露致しますので、最初にキレイな画像を貼っておきますね、
個人のブログとはいえ間借りしている身分でもありますし、
個人の主観に興味の無い方は、画像だけ見て引き返して下さい。
・・・ヾ(´▽`*;)ゝ"まあホラ、日頃はふざけたブログなんで。
(「戦争無残絵」みたいなのは苦手なんです。これもある種の悲劇的で残酷な画ですけどね、)
~「今年もこの時期を迎えての個人的戦争観」~
さてさて、
既にそれとなくお気づきかもしれませんが、たぶん私は「ニヒリスト」です。
「相対主義者」と言っても良いかもしれません。
永遠不滅の真理も絶対不変の価値観も信じることが出来ません。
「神の為、正義の為、国家の為、」
そんな絶対主義的価値への羨望を僅かに感じつつも、懐疑の念を抱かずにはいられません。
戦争で云えば、それに至る動機も支える意義も、国それぞれ人それぞれなのでしょう、
片方にとって受け入れ難い論理も、もう一方にとっては信じるに足る真理なのでしょう、
個々人の歴史的・文化的土台に立ってみれば理解出来る気もするし、同情も禁じえません。
その時々の刹那において、それらの思いは絶対的な重みを持っていたことも想像出来ます。
よく「善悪は後の歴史が決める」と言いますが 、
その当時の空気にあって多少なりとも悩んだうえで彼らが出した結論に、
過去を客観視出来る未来の我々が正否を弾劾するのには、一抹の傲慢さも感じます。
戦争が悲劇というならば、それに至った「過ち」は確かにあったのだろうし、
それが避けえた可能性も方法も、その分かれ道にはあったのだとも思います。
何処かの時点で誰かに罪を着せるのは簡単なことですが、
突き詰めれば事象は曖昧になり、善悪は霧散して行く様にも見えるのです。
「LOVE&PEACE」・・・恐ろしくキレイ過ぎて陶酔感のある理念です。
世界平和を説きつつ、「愛」と「平和」を冠した言葉で戦争は飾られてきました。
「平和」とは「争い」と対を成すことで発生する状況であり、
有史以来、「愛」の普遍的な定義すら、求めつつも人類は出来ずにいます。
そんな危うげな言葉に陶酔する人々を見ながら、
「愛で世界なんか救えねえよ!」
~と、思いつつ、
「愛が欠けても世界は救われねえな」
とも思うのが、私の現在の戦争観であり、永遠に書きかけの項目なのです。
暑い日が続いておりますが、ここ数日は比較的過ごし易く感じました。
お蔭様で私の方も週末に最後の出張を済まし、やっとこ盆休みに突入出来そうな気配です。
(というか半ば強引自主的にw)
今年は諸物価高騰もあり、財布も暑さも厳しい夏ではありますが、
来年はコレが笑い話になることを願いつつ、皆様の御健勝をお祈り致します。
______________________________________
さてさて、今回は、「チラシの裏にでも書いてろ!」ともいうべき、
「KY」で「うざい」ともいえる内容を吐露致しますので、最初にキレイな画像を貼っておきますね、
個人のブログとはいえ間借りしている身分でもありますし、
個人の主観に興味の無い方は、画像だけ見て引き返して下さい。
・・・ヾ(´▽`*;)ゝ"まあホラ、日頃はふざけたブログなんで。
(「戦争無残絵」みたいなのは苦手なんです。これもある種の悲劇的で残酷な画ですけどね、)
~「今年もこの時期を迎えての個人的戦争観」~
さてさて、
既にそれとなくお気づきかもしれませんが、たぶん私は「ニヒリスト」です。
「相対主義者」と言っても良いかもしれません。
永遠不滅の真理も絶対不変の価値観も信じることが出来ません。
「神の為、正義の為、国家の為、」
そんな絶対主義的価値への羨望を僅かに感じつつも、懐疑の念を抱かずにはいられません。
戦争で云えば、それに至る動機も支える意義も、国それぞれ人それぞれなのでしょう、
片方にとって受け入れ難い論理も、もう一方にとっては信じるに足る真理なのでしょう、
個々人の歴史的・文化的土台に立ってみれば理解出来る気もするし、同情も禁じえません。
その時々の刹那において、それらの思いは絶対的な重みを持っていたことも想像出来ます。
よく「善悪は後の歴史が決める」と言いますが 、
その当時の空気にあって多少なりとも悩んだうえで彼らが出した結論に、
過去を客観視出来る未来の我々が正否を弾劾するのには、一抹の傲慢さも感じます。
戦争が悲劇というならば、それに至った「過ち」は確かにあったのだろうし、
それが避けえた可能性も方法も、その分かれ道にはあったのだとも思います。
何処かの時点で誰かに罪を着せるのは簡単なことですが、
突き詰めれば事象は曖昧になり、善悪は霧散して行く様にも見えるのです。
「LOVE&PEACE」・・・恐ろしくキレイ過ぎて陶酔感のある理念です。
世界平和を説きつつ、「愛」と「平和」を冠した言葉で戦争は飾られてきました。
「平和」とは「争い」と対を成すことで発生する状況であり、
有史以来、「愛」の普遍的な定義すら、求めつつも人類は出来ずにいます。
そんな危うげな言葉に陶酔する人々を見ながら、
「愛で世界なんか救えねえよ!」
~と、思いつつ、
「愛が欠けても世界は救われねえな」
とも思うのが、私の現在の戦争観であり、永遠に書きかけの項目なのです。
御清聴に感謝します。
※このブログではブログの持ち主が承認した後、コメントが反映される設定です。
戦争帰りの兵士に訊ねた、銃で人を撃った理由のダントツ一位が、「命令されたから」。決して自己防衛ではないんですね~。若い兵士が心を病むのは当然かと。被害者だけではなく、加害者も含めて全てを不幸にするのが「戦争」だと思いますけどね~(幸福になるのは、一部の特権階級と軍需産業のみ)。
さて、虚空弾道さんのシルバー塗装に対抗してw、私も「シルバー塗装によるメッキの表現」に挑戦してみました。エアブラシで、ですがw。ウチのホムペにアップしたので、暇な時にでもご覧下さい。
コメント書く場所違うような気がしますが、TOP記事の方が目に付きやすいと思いましてw。
>民間の犠牲者が無くならないのは、どの戦争でも共通項目のようで。
ある意味、それさえ無ければ悲劇としてのロマンチシズムを感じたり、社会的システムとして存在が許されるのかもしれませんが、戦争を唱えるものが戦場に立たない今日、代価は我々が払うものと相場が決まっている気がします。
>銃で人を撃った理由のダントツ一位が、「命令されたから」。
そう答えた背景は色々あるのでしょうし、それをどう思っているのかも色々なのでしょうが、こんな理由が一位の内は「愚行」と呼ばれても仕方の無い気がします。
>私も「シルバー塗装によるメッキの表現」に挑戦してみました。
ひゃっほ~~!!
見に行きま~~~~す!!ヘ(^∇^ヘ) ウヒョヒョ
その沈黙が何を意味するのか、今もしきりに反芻してはみますが、答えはいくつもあって定まりません。
語るには余りにも凄惨であったのか。
自分の心中を沈黙という返答で察するべきであるとの意図だったのか。
語るには息子(私)があまりにも未熟者であったからなのか・・・等等・・・等等・・・。
今では却ってあの沈黙が、今なお私自身が戦争に対して思いを巡らせる機会となってくれているような気持ちが致します。
父が生前に書き残した手記の中に、戦後、戦地へ赴いた際に書かれたものが残っており、その中にはしきりに「生き残って申し訳ない」「亡くなった方々に代わって日本国を良くしていきたい」といった文言が多くみられます。その根底には「もう二度とあのようなことはあってはならない」という強い思いがあったのかもしれません。
戦って亡くなった方々、そしてからくも生き延びた方々、もちろん戦わずして亡くなっていった方々、当時を生きた人々すべてに深い傷跡を残すものが戦争の一面でもあります。
人間は愚かな生き物ですから、いずれ日本でも戦争が始まってしまうのかもしれません。
その時、私は何をすべきなのか。
その点をいつもしっかりと考え続ける命題が私にはあるはずです。
私は「その時」が予想以上に早い時期に訪れるような気がしてなりません。
まだ答えが出ていない私は、学ぶことを惜しまず未来を考えていきたいと思います。
私の祖父も、その点は寡黙な人です。
正月に酒を飲むと多少は従軍中や抑留中の話もしますが、
やはり、面白可笑しい話ばかりです。
まだ、なんとか存命しておりますが、時折掃除の際に見つけるメモとも日記とも付かないもののいくつかには、後悔と苦悩の言葉が見受けられるので、
短くない期間を戦地で過ごした祖父には、
数十年を経ても<言えないこと>もあるのだろうし、
<言いたくないこと>もあるのだろうと思います。
いつだったか、
「悲劇を伝えれば、知った者の中にも怨みが産まれてしまう。」
というようなことを言っていたこともありました。
>いずれ日本でも戦争が始まってしまうのかもしれません。
世論も含めてインフラ整備は整いつつあるような感はあるので、そう遠くない未来かとも思います。
もしくは、常に“戦場の後方”であって、第三者的に一喜一憂することを維持する力が蓄えられつつあるのかもしれません。
悲劇と言いながら、戦争に向かう世の中に呆れつつ、
知ればその一人一人を憎むことも出来ず、
言葉に出来ない、ねっとりとしたこの嫌悪感と虚無感を感じます。
祖父がそれを語るものなら聞いておきたいと思うのですが、
墓の下まで持っていくというなら、それを尊重しようとも思うのです。
PS:そうそう、残暑御見舞い申し上げます。